「永大供養」のご相談等もお受けしております。
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智福院永大供養墓ご相談窓口:022-738-7867
「ワイエスプランニング永代供養墓まで」
永代供養墓とは、寺院が永代にわたって個人の供養と管理を行うお墓のことです。
これまでのお墓は、子孫に承継しながら代々維持されてきました。しかし現代では、少子化、非婚化、核家族化、都市部への人口集中といった問題が起きています。『お墓に多くの費用をかける事が出来ない』『子供がいないのでお墓を守る人がいない』『承継者(お墓を継ぐ人)がいない、あるいは承継で悩んでいる』等のこんな方々からの多くのご要望によりその悩みの中で急速に普及しているのが、承継を必要としない永代供養墓。こちらは、多様なライフスタイルが存在する現代のニーズに合致した供養方法です。後継ぎがいなくても、無縁墓になることなく安心して死後を寺院に任せられます。もちろん、ご家族やご親族も好きなときにお墓参りを行うことができます。
過去の宗旨・宗派を問わず、どなたでもお迎えいたします
宮城県名取市にある「智福院」での永大供養にご興味・ご相談・お申込みのご希望がございましたら、下記ご相談窓口あてにお問合わせ下さい。
智福院永大供養墓ご相談窓口:022-738-7867
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「ワイエスプランニング永代供養墓まで」
仙台支店:宮城県仙台市青葉区北目町2-39東北中心ビル8階
東京支社:東京都港区新橋1-16-9亀田ビル5階
名取市の豊かな自然に囲まれた智福院
曹洞宗 蟹王山 智福院
住所:宮城県名取市愛島笠島上北沢2
TEL:022-382-1161
住職:亀井光昭
永大供養ご相談窓口:022-738-7867
「ワイエスプランニング永代供養墓まで」
曹洞宗蟹王山・智福院ー宮城県名取市ー
蟹供養・弁財天の祀っている歴史ある寺
曹洞宗蟹王山智福院は、宝徳元年十一月(1449年)松音寺第十一世大然存覚大和和尚の開山より禅宗の寺として約五百五十年の長期にわたり聖観世音菩薩を御本尊とし、蟹供養並びに弁財天の祀っている寺であります。
蟹供養の信仰崇拝については、今から約五百年位前から、蟹の報恩の物語として、言い伝えられており、池で蟹を大事に飼っていた召使の娘が蛇に襲われた時に、蟹が恩返しとして蛇を退治して娘を助けた時から供養が始まり地域信仰の要として、当時は供養する事によりすべての願い事が皆成就されるといわれ、大変御利益にあずかったとされております。
蟹供養を信仰崇拝しておりますお寺は極めて珍しく、宮城県内のみならず全国より多くの方が訪れております。
また、七福神の紅一点、弁財天は水や農業、知恵、音楽の神として共に信仰されております。智福院には、蟹の霊を供養するために古くから「蟹王山」という祠堂がありました。しかし、お堂の傷みがひどくなり1993年に新しく建て替えられ、「蟹王山弁財天」と名付けられ蟹王山と弁財天が同居する姿で祭祀されております。
1997年8月には、智福院住職が庭木の手入れをしようと掘り返したところ、偶然にも銅製の蟹像が発見されました。
このご神体ともいえる蟹の像は寺の宝として大切に所蔵されております。
1998年2月に新たに境内に蟹と弁財天の石像が建立されました。また、年に一度、毎年三月の第二日曜日を蟹供養の法要会として盛大に行われております。
蟹王山物語
「かにの恩返し」
むかしむかし、智福院の近くに長者さんが住んでいました。
この長者さんの家にお倉さんという召使がいました。お倉さんはいつもほとけさまをおがむ、情け深い気立ての優しい娘でした。
智福院には池があり、お倉さんは毎日食器を洗う時は一粒のごはんも粗末にすることなく、池に住んでいるカニさんたちに与えていました。
ある日、田で仕事をしている長者さんに、お弁当を届けにいったお倉さんは、途中で美しい男に出会い、結婚を申し込まれました。
ところが、この美しい男は大蛇が姿を変えていたのでした。
これを知ったお倉さんは怖くて、あわてて逃げましたが、逃げても逃げても大蛇は追いかけてきます。
お倉さんは助けを求めて智福院に逃げ込みました。和尚さんは石で出来た大きな箱にお倉さんを隠し、ふたをしっかり閉めてお倉さんを守ろうとしました。
大蛇は、お倉さんが隠れている大きな石の箱をぐるぐる巻きにし、壊そうとしました。大蛇は大きく口を開き、口の中から炎をはき出します。あまりの恐ろしさに誰も大蛇を追い払うことが出来ないでいました。
その時です。どこから来たのか、大きなカニさんや小さなカニさんが数えきれないくらいぞろぞろと集まってきて、はさみで大蛇を攻撃しはじめました。たくさんのカニさんも傷ついたり死んでしまいましたが、大蛇はカニさんのはさみでずたずたに切られとうとう死んでしまいました。
毎日ご飯粒をくれるやさしいお倉さんが大蛇におそわれたのを見て、カニさんたちは命がけでご恩返しをしたのでした。
人々は、カニさんの心にかんげきして、お堂を建てておまつりしたということです。
おわり